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少年メリケンサック




監督:宮藤官九郎/新宿バルト9/★3(55点)
本家公式サイト

大人になれないのか、大人になろうとしないのか。それがパンクなのか。なのか?
クドカン×あおいタンという鼻血ものコラボ。
とても「篤姫」と同時進行で撮影していたとは思えない宮崎あおいの豹変っぷりが楽しい。

クドカンは基本的に、真正面からストレートな熱いメッセージを伝えることが照れくさい人なんだと思う。
常に「何か」を「笑い」のオブラートに包む。時に包みすぎて「なんじゃそりゃ」と思うこともあるんだけどさ。
そんな変化球の中で一瞬だけド直球を投げる瞬間がある。その切れ味の鋭さ。

これは、「いつまでも大人になれない大人達が大人になる物語」と見せかけて「大人にならない物語」だと思うのです。なんじゃそりゃ。

ずいぶん以前、クドカンはこんなことを言っていたことがある。
「子育てしてるけど、俺も子供なんだよね。」

この映画には、佐藤浩市を巡る父と息子が少しだけ登場する。
宮崎あおいタンにも哀川翔演じるダメ親父がいる。
成熟しない父親、寝たきりの父親。
黒沢清が『トウキョウ・ソナタ』で意識的に描いた父権の崩壊を、クドカンは軽々と(たぶん無意識で)描いてしまう。

一方、母親は登場しない。正確には、かつての女として烏丸せつ子は登場するのだが、それは構造上の母親役ではない。
この映画で母親たる人物は、バンド・マネージャーの宮崎あおいに他ならない。
そして彼女もまた、自分のことで精一杯の人間として描かれる。

これはクドカンが多用する構図で、男どもがヤイノヤイノやってて、女性は男どもより少し成熟している場合が多い。
その女性像は、かつての“ヒロイン”という記号とは異なり、男目線での“母性”とも言える。
しかし当の女性は、実は自分のことで精一杯。

「男=子供、女=母(本当は違うんだけど)」

たぶんこの微妙なすれ違いが、クドカンの持つ「男女関係」の構図なんだと思う
(あと、バカップル設定は好きみたい)。
実際、物語の主要人物になる可能性(危険性?)もあったユースケ社長を、ホモ設定ということで一過性の笑いにしつつ、男女関係の舞台から降ろしてしまう。パンクを捨てて社会的に成功した大人を「男=子供」の舞台から降ろす。母性の象徴であるあおいタンの上司に男を存在させないことで、男にとっての母性の物語も維持する。

このように脚本家・宮藤官九郎の多重構造は秀逸で、映画脚本作はもちろん単発や昼ドラも含めテレビドラマもほぼ全て見るほど大好きなのですが、正直、監督としての手腕は疑問視しています。
確かに、自身がバンドをやってることもあり、ライブハウスやバンドの空気感は『デトロイト・メタル・シティ』のスタッフに見せてやりたいと思うほど見事。
舞台がかったハイテンポの丁々発止も三谷幸喜が見たら地団駄踏むかもしれないと思うほど(三谷幸喜はまだ映画でこのテンポを有効に活かせていないと思う)。

でも、役者の魅力を引き出すのは三谷幸喜に一日の長がある。
宮崎あおい?
あおいタンはまだまだ、こんなもんじゃないよ。

余談

「中年の好奇心なめるな」←これ名台詞。いつか使いたい。

2009年2月14日公開(2008年 「少年メリケンサック」製作委員会(東映他)=東映配給)

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