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リトル・ランボーズ

リトル・ランボーズ監督:ガース・ジェニングス/渋谷シネクイント/
★4(75点)本家公式サイト

欠落した父性を補完する物語。ちょっと泣いちゃったよ。
まず最初に、配給会社というか配給関係者に文句を言いたい。

邦題については、スタイルジャムは日活みたいな改悪をあんまりしない会社だと思っているので、何か事情があったんじゃないかと勝手に思っている(多少の色気はあったかもしれないけど)。
たぶん『ランボー』って名称が使えなかったんじゃないか?あれだって本当は『ランボー』じゃねーしな。東宝東和あたりがいぢわるしたんだよ。だって、「リトル・ランボー」でいいわけじゃん。複数形にしなくたって。
そういうわけで、ここで文句を言いたい先は、配給会社スタイルジャムではなく、いぢわるした東宝東和である(<何の根拠もないのに)。

それより何より、2007年制作の本作が2010年まで日本公開がなかったことに文句を言いたい。
そりゃ、地味な映画ですよ。イギリス映画だし。でもねえ、3年も配給がつかないってねえ。
最近じゃ、ヨーロッパ諸国の映画はおろか、香港映画ですら全然入ってこないそうじゃないですか。ビデオスルーにすらならないって聞いたよ。今時はDVDだけど。
今の日本の映画環境はどうなってんだ、って話ですよ。

やっと本題。

本作は「欠落した父性を補完する物語」ではないかと思うのです。

主人公の気弱な少年は、母、祖母、妹という女性ばかりに囲まれて暮らしています。
もう一方のヤンチャ坊主は母親の連れ子で、新しい父はおろか母親すら姿を見せません。
注意深く見てみると、学校内の父親役であるはずの校長も、話題に上るだけでその姿を見せません。
唯一、気弱少年の母にお近づきになりたい(?)信者野郎だけが父親の体で近付いてきますが、信仰的なことは少年の欠けた父性を埋めるものではないんですね。

主人公二人が求めていた父性の穴を各々が埋めるのは、スタローンと兄なんです。

そういった意味では、架空の父を救出することと現実の兄が詫びることが、映画の中でリンクするというのは、よくできたシーンだと思うし、幸せな映画的瞬間に思えるのです。

これまたそういった意味では、やっぱり「ランボーの息子」ってタイトルでなきゃいけなかったんじゃねーの?と思う一方、「ランボーの息子」だと気弱少年中心の物語のタイトルなのに最後はヤンチャ坊主で涙を誘ってんじゃん!という矛盾が生じるので、やっぱり『リトル・ランボーズ』でよかったのかもしれない、とも思うのです。複数形だし。

気弱少年は、ヤンチャ坊主が自分の空想を実現していく様を目の当たりにします(例えば空飛ぶ犬)。
それはそれは素敵な体験だったでしょう。
しかし彼は、そうして育まれた小さな友情を、二人だけの活動を大人数に広げていくことで壊してしまうのです。規模が大きくなると失敗するというのはよくある話です。人気のラーメン屋がチェーン展開したら味が落ちるみたいなもんです(<たぶん違う)。
こうして妄想少年は、現実の痛みを知っていくのです。「切られりゃ痛ぇぞ」ってことを知るのです。

同様に、校長室で拷問を受けたふりで足を引きずっていたヤンチャ坊主も、現実に足を怪我するのです。「怪我すりゃ痛ぇぞ」ってことを知るのです。

ここからはかなり飛躍した話なんですが、母性が優しさなら、父性は厳しさを教えることではないかと思うのです。
父親のいない二人に、厳しさを教えてくれる人がいなかったんじゃないかと思うのです。
そんな少年達が、遠回りしながら、現実の痛みを知りながら、厳しさを知って成長する。
そんな話のような気がしますし、そこまで考えて作られた映画じゃないような気もします(<なんだそれ?)

日本公開2010年11月6日(2007年 英=仏)

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