あの不評映画『北の零年』と同じく、どういうわけだか吉永小百合主演で那須真知子脚本の「北の○○」物。
これねえ、難題なんですよ。
まず、【吉永小百合】という集客力のあるキャラクター。
決して演技派ではないアイドル女優を見に観客は集まるわけです。
それをどう料理して観客の満足する“小百合映画”にするかという難題。
30年前、40年前なら何やっても観客は喜んだんでしょうけど。
続く難題は脚本。『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズや駄作を超えた超駄作『デビルマン』でお馴染み那須真知子。『北の零年』の脚本も相当だったけど今回も相当アレですわ。
彼女の脚本の最大の特徴は「唐突に発生する(伏線になってない)伏線」。
例えばこの映画なら、吉永小百合が持ち歩く“人形”。バッグに赤い物をぶら下げてるなー、くらいのことは早いうちから見せとけばいいのに、話題にする直前に初めて「雪を払う」なんて仕草で登場させる。それもあんな豪雪の中で雪を払うくらいならバッグに入れとけよ、たいして大きい物じゃないんだし。それにその人形、クライマックスでいくらでも上手な使い道があっただろうよ。お前、三歩歩いたら忘れるのかよ。
そういう大きな難題を与えられ、さらに今回は、今となってはそれがメリットなんだかデメリットなんだか分からない木村大作のカメラですよ。
木村大作カメラは別として、同等の難題を与えられた行定勲は「まず吉永小百合ありき」の企画意図を正しく理解し、ド凄い人間ドラマを排除し、むしろファンタジー寄りのアイドル映画に仕上げた。
極北の果ての過酷な試練は周囲の者に任せ、吉永小百合には2,3の見せ場を与えただけで、「なんだか吉永小百合が頑張った」みたいな印象を観客に与えてしまう。正直言って、映画少年・行定勲の引き出しの多さと、職人としての技量の高さに感心したんだよね。映画が面白かったかどうかは別として。
一方、阪本順治にはそういう器用さはない。
『どついたるねん』の赤井英和、『顔』の藤山直美、『大鹿村騒動記』の原田芳雄など、彼の代表作を思い出せば分かるように、阪本順治の映画は生身の人間が輝いて初めて面白くなる。
(私は決して上手いとは思っていない)日本最強のアイドル女優相手に、この映画はどこまで“生身の人間”の魅力を引き出せただろうか。海に飛び込ませたりしても無理だって。正直言って、(すごく若い頃を除いて)吉永小百合から人間的な魅力を引き出せた映画なんてないと私は思っている。
阪本順治にとって向かない企画だったと、阪本順治ファンとしては言わざるをえない(本人がどう思ってるかは知らないが)。
しかしその一方で、阪本順治は破天荒な面白さを引き出す。優等生的な安定した平均点の映画を作った行定勲に対し、この映画のクライマックスは、辻褄は無茶苦茶でも力技で泣かせる。競馬で言えば“一瞬の末脚”。
行定勲の「技」に対して阪本順治の「力」。
そんなことを考えさせられる映画だった。
余談
本当はもう一つ難題があって、“荒れ狂う北の海”って、どういうわけだか失敗することが多いんですわ。森田芳光の『海猫』とか(笑)。たぶん、あんまり寒くて粘って撮影するのが嫌になっちゃうんだと思うんだ。
2012年11月3日公開(2012年 東映)
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