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「不機嫌な女神たち プラス1」



岡田惠和脚本は舞台と相性がいい気がする。


作:岡田惠和/演出:田村孝裕/出演:和久井映見、羽田美智子、西田尚美、谷原章介/新宿・紀伊国屋シアター
所属事務所U.F.O. カンパニーのプロフィールによれば、岡田惠和が手掛けた舞台脚本は3作目。私は2017年の2作目「ミッドナイト・イン・バリ 〜史上最悪の結婚前夜〜」以来、2作品目の鑑賞となる。

私は岡田惠和脚本の大ファンである。
1994年の初の全話執筆作品「南くんの恋人」、初のオリジナル全話執筆作品「若者のすべて」以降、少なくとも連続ドラマは(WOWOW作品などの一部を除いて)ほぼ全作品を観ている。連ドラだけでも50作品に上り、実に四半世紀に渡るお付き合いとなる。

ところが、彼が脚本を書いた単発ドラマや映画はあまり好きではない。嫌いではないのだが、物足らないというか、「らしさ」が失われている気がしていた。
私はその原因をずっと「尺」の問題だと思っていた。要するに、じっくり時間をかけて展開できる連続ドラマと異なり、1時間半から2時間程度の時間的制約の中で話をまとめるのが、「らしさ」を阻害する要因だと思っていた。

ところが、同じく時間的制約があるにもかかわらず、今回の舞台めちゃくちゃ面白かった。実は2年前の舞台も面白かった。
特に今回の舞台は「猛烈な会話劇」だった。
今やいい大人になった小学校から高校まで仲良し3人組だった女子(和久井映見、羽田美智子、西田尚美)が繰り広げる「猛烈な会話」は、女子特有の「本質をえぐらない」「脱線に次ぐ脱線」で、場面設定は単一のまま、ゆるーく話が展開していく。

そこなんだ。
映画や単発ドラマは、約2時間の尺の中に「大きなストーリー」を収めようと「論理的に」話が組み立てられていく。多くの場面転換とストーリー展開が求められ、起承転結にとって不要な「ダラダラした会話劇」は削ぎ落されていく。
ドラマ「最後から二番目の恋」で中井貴一と小泉今日子が繰り広げるストーリーには無関係なトークバトル。そんなものは映画では削られていく。しかし舞台なら可能だったのだ。なぜなら、場面転換せず、ただ一つのシーンを約2時間展開できるからだ。

このストーリーを転がすには一見無関係にも思えるトークバトルが、実は「描くべき物語」にとっては重要な会話となっている。これは岡田惠和の特徴だと思う。

岡田惠和作品には悪人が登場しないとよく言われる。初期作品や原作物はともかく、オリジナル脚本で悪人が登場することは皆無に等しい。渡る世間には鬼しかいないと思っている橋田寿賀子とはえらい違いだ。

岡田惠和本人は、自身の作品を「ホームドラマ」と呼んでいる。私も「平成・令和の」あるいは「21世紀の」ホームドラマだと思う。いわゆる昭和時代を想起する「家族」の物語ではなく、「家族的人間関係のドラマ」としての「ホームドラマ」。

要するに、「家族的人間関係」を肯定的に描くにあたって、「悪との対立構図」は必要ないのだ。そしてその多く=日常は、論理的な筋立てによるものではなく「ダラダラした会話」で成り立っているのだ。


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