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鏡の中にある如く〈デジタルリマスター版〉



ベルイマン「神の沈黙」3部作第1弾。難しくて感想書けないから観なかったことにしたい。

監督:イングマール・ベルイマン/ユジク阿佐ヶ谷/★3(65点)本家公式サイト
「神の沈黙」3部作の第2弾『冬の光』をひょんなことから観てしまったので、いつか第1弾の本作も観てみたいと思っていたらやってるんかい!という訳で、連日の鑑賞。

映画は、“鏡の如く”キラキラ光る水面から始まります。スウェーデンは湖や河が多いそうですよ(国土の1割もあるとか)。
そんな水辺から、主人公家族がキャッキャワハハ言いながら登場します。
ベルイマン映画で笑い声!衝撃!初めて観たかもしれない。

『冬の光』を観たから言うんですが(実は第3弾『沈黙』も続けて観たというのもありますが)、「神の沈黙」3部作は「光」で貫かれている。この冒頭の「水面のキラキラした光」は全ての始まりなのです。
フェリーニは『甘い生活』で「神の不在」を描きましたが、この映画は違います。神は(沈黙していますが)存在しているのです。その存在を感じるのです。それが「光」。
だと私は勝手に解釈しています。

話の根幹は『処女の泉』に似ているように思います。神はなぜ苦難を与え、なぜ沈黙したままなのか?
また、ベルイマンの「父親嫌い」も色濃く反映されます。実の息子ばかりか娘の夫までもが舅を馬鹿にしたような発言をします。何だそれ?

そして、夕食に劇薬でも入ってたのか?と思うほど突然の家族劇で(<劇薬ってそういうことじゃない)「芸術論」を語り始めます。後に父親が語る心境はまるで芥川龍之介「地獄変」。この映画は、表面上のストーリーとは別に芸術論が語られるのです。まるで筒井康隆「文学部唯野教授」。

あれ?最近同じことを書いたぞ?

あれは確かオリヴィエ・アサイヤス『冬時間のパリ』。
この映画中の台詞に『冬の光』が出てきて、それをきっかけにベルイマン「神の沈黙」3部作を観始めたのだった。
あれ?そうするとアサイヤスは『鏡の中にある如く』的なことをやって『冬の光』とか言っちゃうギャグだったのか?(そうか?)

最後は近親相姦まで持ち出して、愛だ神だと高尚めいて難解ですが、ベルイマンが描いているのは「人の苦悩」だと思うのです。その解決や結論にはあまり興味がない。ただただ「渡る世間は苦悩ばかり」を描くのです。

『第七の封印』なんかのせいもあってベルイマン映画は神話的な印象が強いのですが、私は民話的というかある種の土着性も感じるのです。また、晩年の『秋のソナタ』などが典型例ですが、意外に人間くさい面もあるように思います。「土着性」「人間くささ」が冷徹なカメラのせいで目立たないのかもしれません。

何が言いたいかというと、私はこの『鏡の中にある如く』をかなり「人間臭い」映画として観たんですね(だってこの映画、最も人間らしい感情の“笑い声”から始まるんですよ)。
結果、「子供を愛せない」という父親の“人間臭い”苦悩の話に見えるんです。
演劇のふりしてなじってきくる息子が疎ましい。病気の娘とか超面倒くさい。そういう人間くさい感情。

ほらやっぱり、「女って面倒くさい」って映画だ。



(1961年/スウェーデン)


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