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ゴッドファーザー partII

監督:フランシス・F・コッポラ/銀座東劇/★5(98点)本家gooDB/再見

あまりにも悲しすぎる「バベルの塔」の物語。これは奇跡の映画だ。
DVD発売宣伝のおかげで16、7年振りにスクリーンで鑑賞(ニュープリント版)。
その間、ビデオやテレビや「サーガ」なんちゅうもんまで含めて何度も観ているのはpartI同様。
年齢を経て視点が変わったせいか、それだけ観ていても新たな発見があるのだから映画は面白い。

映画ではよく「祭り」のシーンが出てくる。昔の日本映画なぞ必ず(と言ったらオーバーだが)目にする。私はこれの意味が分からない。単なる「賑やかし」にしか思えない。
それは本作に於けるデ・ニーロ演じる若き日のビトーがナントカいう街のボスを殺害するシーン、あのリトルイタリーでの祭りのシーンでも同様、「映画的効果」(それもとても上手な)ぐらいに思っていた。

甘かったな、俺。

あれは正に、ビトーに神が降臨した瞬間だったのだ。この事件をきっかけに彼が“Godfather”への道を踏み出したことを考えればすぐに分かりそうなものを、何故今まで気付かなかったのだ?
自由の女神を羨望の眼差しで見上げていた少年が(そしてあの大勢が見上げているワンショットでどれだけ多くの人々が“自由”を求めてこの地に辿り着いたかを物語る見事さよ)、自ら神へ上り詰めた瞬間、祭りの花火はあたかも祝砲の如く鳴り響く。偉大なる“父”はまさしく“神”だったのだ。

偉大なる父を持った息子は苦労するものらしい。長嶋一茂しかりカツノリしかり。おいおい、ずいぶん卑近な例だな。他に誰かいい例えはいないのか?若貴兄弟?いや、現役時代見てるけどあの親父は偉大じゃないから。

「我々はお前の父親も思い付かなかったような事をするのだ」(劇中ロスの台詞のウロ覚え)

マイケルは父を超えようとした。神の領域へ近づこうとした「バベルの塔」だ。天まで届く塔を持つ街を建設することで人々が一つになれると信じていた。
「父親のつもり!」とコニーは反発する。
「分かってない。あなたは何も分かってない」そう言ってケイはかぶりを振る。
やがて人々はコミュニケーション能力を失い、バベルの街は崩壊していく。
実の兄フレドの顔を鷲掴みにしてマイケルは叫ぶ。「残念だ!」
(肺炎にかかったフレドを心配そうに見つめる若き日のビトー、その小さな命を大切に思う表情を思い出すとあまりにも悲しい)

アメリカに辿り着いたビトーを受け入れる入管シーン。これまた凄いセット組んで凄い数のエキストラを集めたもんだ。わざわざ延々カメラ移動して見せなくたっていいだろうに。そんなに金かけたの自慢したいか?くらいに思っていた。

甘かったな、俺。

あれはアメリカの縮図、アメリカの原点だったのだ(この部分をクローズアップしたのが『地獄の黙示録』なのではないかと私は思っている)。
そして、序盤にゴチャゴチャ多くの人が画面に写っている印象を観客に与えることで、最後の一人のマイケルが際立つのだ。

若き日のビトーを描く暖色を基調とした画面。冬のマイケル家を描写する青を基調とした寒々とした画面。デ・ニーロはもちろんのこと、今や“芸”の域に達しているパチーノの怒り演技や鬼気せまるダイアン・キートンに至るまで、全てが神がかった「奇跡の映画」である。

「ママが生きているうちはフレドは安全だ」一度は使ってみたい台詞だ(←どんな日常で?)

ニュープリント版上映2004年7月19日(1974米)


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