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映画女優




監督:市川崑/BS/★3(55点)再鑑賞→
本家goo movie

なるほど新藤兼人。丸20年ぶりの再鑑賞でちょっと印象が変わったにゃあ。

劇中台詞処理されてしまうが、溝口も田中絹代も戦中・戦後「過去の人」と一度評判を落とし、その復活(そして再評価のきっかけ)が『西鶴一代女』であり、その象徴が「夜鷹」のくだりであり、「ニャー!」なのである。
(ちなみに『西鶴一代女』はヴェネツィアだったか海外で受賞しているが、「ミゾグチ凄い」「撮影が凄い」「美術も凄い」と世界的に再評価されたのはもっとずっと後。ゴダールだかトリュフォーだかヌーヴェル・バーグの連中である。中でも『西鶴一代女』のラストシーンの長回しは日本よりもフランスで有名で、元人気女優が老け役をやったことと重なって伝説化したのだろう。)

無知な大学生だった初見当時でも『西鶴一代女』は観ていたし、それにまつわるエピソードも知っていたので、このラストシーンは違和感なかったし、むしろ必然だったと思っていた。
今回、公開当時映画館で観て以来丸20年ぶりに鑑賞してもこのラストに違和感は全然ないし必然的なラストシーンだと思うのだが、それは“知っている”からそう思えることなのだろうということに改めて気付いた。

要するに、やっぱり、というか、なるほど新藤兼人なんだな。

溝口&絹代の代表的なエピソードであるラストシーンが最初にありきで、映画全体がそこに向かって作られている印象。何が彼女を変えたのか。『何が彼女をそうさせたか』ってのが脚本の骨子なんだろう。
しかしそれは、新藤兼人が“そう思っている”からであり、新藤兼人がそれを半ば伝説化したからであり、作り手側が“知っている”からなのだ。根本的に、観客にその伝説を分からせる努力がこの映画にはない。

冒頭家族の延々続く説明台詞オンパレードから物語的には全然ダメダメで、日本映画史の邂逅が一番面白い始末。
20年前もそっちの方が面白いと感じたが、日本映画史をいろいろ知った今では、より一層面白く感じられた。紹介されてる映画ほとんど分かるしね。

市川崑史的には、80年代後半から始まった低迷期(それはちょうど和田夏十が亡くなった時期と符号する)の、低迷っぷりを象徴する代表的作品。

吉永小百合が田中絹代を演じることの無理は、「フィクションだ」とお気楽に構えられた20年後の今日ではそれほど気にならない。
むしろ気になるのは森光子の下手っぷりで、本当にいつもいつも思うのだが、(舞台は知らないが少なくとも映画では)森光子をいい女優だと思えたことは一度も無い。岸田今日子の泰然自若っぷりと比べたら新人女優みたいだ。

余談

『西鶴一代女』は、当時43歳だった田中絹代が13歳から50歳まで演じる映画。
本作は、当時42歳の吉永小百合が15歳頃から43歳まで演じる映画。
こうした二重構造や『伊豆の踊り子』自己パロディー、『愛染かつら』のリアル上原謙出演など、お遊びとしてはちょっと面白い。

(1987年 東宝)

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