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フィクサー




監督:トニー・ギルロイ/新宿武蔵野館/★3(60点)本家公式サイト

劇中小説が意味するもの。プロットは面白い。

まず主要登場人物を簡単におさらいしましょう。

・法廷でいきなり服を脱ぎだし、全裸に靴下だけという格好で街を走り回った弁護士

・カメラ写りや他人の視線を気にして鏡の前でリハーサルを繰り返し、自分のしでかした事にわき汗かく(たぶんゲロも吐いた)自意識過剰女

これは、MUSIC MINDさんの「シヴァ神としてのフィクサー」という秀逸なレビューで、「子供と大人の対立構図」と評されているのですが、まさにその通り。
実際、冒頭の独白で「羊水に包まれたような感覚」といった表現が出てきます。

そして、何を考えているか分からないニヤケ顔俳優(三代目)ジョージ・クルーニー(ちなみに初代はクラーク・ゲーブルで二代目はケーリー・グラントね)演じる『Michael Clayton』はその中間に位置しているというプロットなんですね。

ここに、劇中出てくる(たぶん架空の)小説「王国と征服」が絡んでくる。

自意識過剰女は大企業という“王国”の戦士なのです。
全裸弁護士も、シドニー・ポラック率いる“王国”に反乱を起こす戦士であると同時に、被害者側に“王国”を築こうとするのです。
そして三代目は、「自分の居場所がある」とポラックに言われてもピンと来ず、自分の“王国”を求めて失敗を繰り返すんですね。
彼が求めた“王国”は、レストランだけではなく、家庭もそうだったんでしょう。

この映画に爽快感が無いのは、こうしたプロットの中で、三代目の落ち着く“王国”が判然としないことにあると思うのです。
いや、彼が“王国”を見つけられない物語でもいいでしょう。
その場合は、その葛藤こそが物語の中心であるべきだったのではないでしょうか。

しかし、「金か友か」(=大人か子供か)という葛藤はあるものの、それほど葛藤しているようには見えないのです。
何故なら、何を考えているか分からないニヤケ顔三代目だから。

日本公開2008年4月12日(2007年 米)

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